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「結婚生活は不幸せ」と倦怠夫婦が知るべき夫婦の価値  新婚のときめきを維持する方法とは・・・

芸能人

結婚生活は楽しいことばかりではなく、大変なこともあります。相手に不満を感じることもあるでしょう。ただ、「結婚生活の大変さを相手のせいにしてしまうのは未熟なこと」と指摘するのが、韓国の精神科医であるキム・ヘナム氏です。ではどうしたら幸せな人生になれるのか。キム氏が解説します。

※本稿はキム氏の著書『人間として最良のこと as a person』から一部抜粋・再構成したものです。

人間が楽しむには別の人の犠牲が必要

1人の人間が楽しむには、その裏で支えてくれる別の人の犠牲が必要です。 幼いときの遠足で、子どもたちは楽しむだけなのに、その裏では早朝から子どもの弁当やカバンの準備をしてくれるお母さんの苦労があったのと同じです。

ところが、幼いころから母親が世話をしてくれるのが当然の環境で育ってきた人たちは、実際に結婚生活が始まると、幸せは誰かがつくってくれるものではなく、なんらかのかたちで努力をしなければ得られないことをつきつけられます。

問題は、退屈でつまらないことが毎日繰り返されるので、やりがいを感じられないことにあります。そのため、こんなに大変な思いをしているのに、それをわかってくれない相手が冷たく感じられ、本当にわたしのことを愛しているのだろうか、ひょっとして楽をしようと思って結婚したのではないか、と疑うようになります。

しかも、こうした仕事に不慣れの場合はもっとつらく感じられて、だれかがこっそりとやってくれればいいのに、という思いが脳裏をかすめます。愛しているなら、わたしのお母さんやお父さんがやってくれていたみたいに、楽をさせてくれるべきだ、と自分勝手な発想をするのです。

そうしているうちに、仕事の分担で摩擦が生まれます。愛とは自分が生きるために相手を必要とする感情や行為だというのは、ある程度認めるとしても、際限なく要求ばかりする愛は未熟な愛です。

配偶者が不幸の原因となる瞬間

わたしが幸せなら当然相手も幸せだろうという錯覚を捨てましょう。本当の愛は思いやりを土台に成長します。相手の気持ちを傷つけないように、相手が苦労している部分を分かち合おうと努力さえすれば、日常の退屈でつまらないことに邪魔をされずに、幸せを培っていくことができます。

選ばなかった道への悔いは、だれにもあります。とくに現状を不幸だと感じている人ほど、その思いが強いことでしょう。しかし、そんな思いを抱きつづけていると、幸せになる可能性をしりぞけてしまった自分が愚かに思えてきます。同時に、現在の不幸を耐えていくのが難しくなります。

可能性と現実のあいだにある葛藤は結婚生活にも当てはまります。結婚とともに恋愛時のロマンチックさは消え失せ、繰り返される日常と経済的プレッシャーにあえいでいると、愛していた記憶はぼんやりとしか思い出せなくなり、配偶者の無能で気に入らない部分が、さらに我慢できなくなります。

さらに時が経つと、配偶者は不幸の原因となります。そうなると、両親の束縛から救い出してほしいといまの配偶者に望んだように、今度は結婚という不幸と監獄から救い出してくれる別の相手を夢見るようになります。

さびしさから逃れようと結婚したのに、配偶者を見ながらもっと深いさびしさに襲われる時期があります。そうなると、過去に付き合ったか、好感を持っていた人たちのことが頭に浮かび、その人たちのブログやSNSをひんぱんに見にいくようになります。

あるいは、同じ職場で毎日顔を合わせる同僚に個人的な悩みを打ち明けて、恋に落ちることもあります。配偶者に理解してもらいたいし、思いやってほしいのに叶わない欲求が満たされ、愛が燃え上がるのです。

いわゆる「不倫」は、その言葉が持つ重さに比べると、いとも簡単に始まります。秘密めいているのでさらに熱く刺激的で、ふたりの関係は愛に対する夢だけを共有するため、いっそう甘く、なかなか手放せないものになります。ところがよく考えてみましょう。

いま恋に落ちたばかりのその人と日常を一緒に過ごしたとしても、はたして幸せでいられるでしょうか?

いまは自分に気を遣ってくれ、理解してくれますが、ともに生活するようになると、またつまらないことで衝突し、喧嘩をするようになるのではないでしょうか?

もしも、その人と結婚生活をしていて、後に現在の配偶者に出会っていたとしたら、どうだったでしょうか?

相手が違うだけで、同じことが繰り返されたのではないでしょうか?

まったく同じように結婚生活で失望した部分をほかの人で埋め合わせしようとしたのではないでしょうか?

選ばなかった道への後悔

結婚生活を不幸にするもう1つの要素に、配偶者をほかの人と絶えず比較する癖が挙げられます。いざ1人を選んで結婚をしてみると、ほかの人を選んだほうがよかったような気がして、思わず比較するようになるのです。

「隣家の旦那さんは稼ぎもいいし家庭的なのに……」、「キム課長の奥さんはやりくり上手だし、愛嬌もあって満点なのに……」ともし言われることがあれば、あなたは「わかったから、その人を連れてきて一緒に暮らしなよ」と強気に言い返すでしょう。

しかし、配偶者よりも「よく見える人」は、その見えている姿がすべてではありません。 その人物が家で配偶者に対して、どのような態度を取るのか、だれにもわかりません。

それでも、しきりに配偶者の欠点を目にして、あなたの選択に深い悔恨が押し寄せてくるのであれば、しばらく視線を自身に向けてみる必要があります。配偶者を別人に変えようにも、あなたが変わらない限り、似たような問題が繰り返されるはずだからです。何度も同じような理由で離婚した人たちがそうであるように。

そして、もしあなたがいま誘惑に心ゆらいでいるのであれば、もしかしたら、選ばなかった道を見ようとして、目の前に咲いているきれいな花々を見逃しているのではないか、一度見つめなおしてみましょう。

「あんたが死んでしまえばいいのに」

だれが言ったかはわかりませんが、妻が死んだら夫はトイレでほくそ笑む、という言葉があります。その姿を思い浮かべるだけで鳥肌が立ちます。憔悴した顔で弔問客を迎えていた男性が、1人でトイレに入って笑う姿……。

この話はおそらく結婚の日常にうんざりし、心のなかで妻が死んでしまえばいいのに、と思っている男たちの想像から始まっているはずです。

しかし、妻たちもおとなしくしているだけではありません。酒を呑んで夜遅く帰ってきた夫が眠っている家族を起こして大騒ぎをすると、妻は背を向けて横になったまま、こう考えるかもしれません。

「あんたが死んでしまえばいいのに」

結婚生活の不可思議

ある瞬間、結婚生活が監獄のように感じられることがあります。そんなとき、わたしたちは小言を言う人も、仕事を命令する人もいない心休まる世の中を夢想します。さらに、相手がそっと去ってくれるのを望むこともあります。

しかし、本当に不思議な関係が夫婦です。死んだらいいのにと思っていた夫がいざ連絡なしに数日間いなくなるだけで大変不安になるし、ある日、後ろ姿すら見たくなかった妻が病に倒れると、1人取り残されるのではないかと突然におじけづいたりします。

オー・ヘンリーの短編小説『振子』は、そんな結婚生活の不可思議な側面を面白おかしく描いています。

主人公のジョンは、職場から帰宅すると妻と夕食を食べ、ふたたび外出して友人たちとビリヤードを楽しんでから帰宅する、というのが基本的な日常パターンの男性です。妻がそのときどきに発する小言は、彼の冷めた日常を一層つまらなくさせます。

ところがある日、ビリヤードを終えて家に戻ると妻がいません。時間が経つにつれて、彼はだんだんと不安になります。実は妻がいない生活をただの一度も考えたことがなかったのです。 彼の生活のなかに空気のように溶け込んだ存在の妻でしたが、彼はそのありがたさがわかっていませんでした。彼を縛っていた結婚という鎖は、妻の不在によって解けますが、彼は何一つ自分ではできません。

妻を1人残してビリヤードばかりに興じていた自身を責めはじめたジョン。そのとき、実家に戻っていた妻が、なにごともなかったようにドアを開けて入ってきます。一瞬ためらったジョンは、時計を見て立ち上がります。まだ友人たちがビリヤード場にいる時間!

妻の不在によってようやく妻の存在感に気づきますが、ジョンは妻が戻るとすぐにすべてを忘れて、ふたたび自分勝手な日常に戻るのでした。

わたしたちはこの小説を通して、夫婦が一緒に暮らすことについて考えさせられます。夫婦とは、性的な欲望、愛されたいという依存的な欲望、攻撃性、強欲さ、嫉妬、子どものように幼稚なわがままなど、自分のすべてを相手にさらけ出す関係です。

ところが、生存と幸福のために互いが切実に必要なため、かえって配偶者によって束縛され、コントロールされていると感じやすいのです。そのため、ときどき1人になり、自由でいたいと思うのですが、実際に1人になると話が変わります。もちろん最初はひさしぶりの自由が新鮮な空気のように感じられ、まるで監獄から釈放されたような気分になります。

「ともにおこなう」だれかがいるということ

しかし、こうした気分は束の間で、1日、2日と過ぎると、そわそわしているのに気づくのです。1人で食べる食事はおいしくないし、好きなテレビ番組を好きなだけ観ることができるのに、なんとなくつまらなく感じられます。そして、こんな一人言をつぶやくのです。

「あんなにうんざりしていたのに、胸に穴が開いたような感じがするのはなぜだろう? いつもの小言が聞きたいのはなぜだろう?」

夫婦の仲を維持し親密にする最も大きな力が、この「ともにおこなう」ことだからです。1人でおこなう経験は瞬間的なことが多いですが、配偶者とともにおこなった経験とそのときの感情はふたりのあいだで共鳴し増幅します。

それだけでなく、その経験を配偶者とともに記憶しているという事実は、実在の経験であるとの確信を与え、その記憶に生命力を吹き込んでくれます。「喜びは分かち合えば2倍になる」という言葉のように、感動も分かち合えば共鳴し増幅します。そして心に刻まれるのです。

あなたのつまらない習慣さえも知っている人、知りながら我慢してくれるだけでなく愛してくれる人、ゆえに人生の歴史を一緒に歩んでいる人、いまの経験を共有しその経験に意味と生命力を与えてくれる人、その人こそがあなたの配偶者です。

なんでも「ともにおこなう」だれかがいるということ、それこそが人生における最大の祝福ではないでしょうか?

提供元 東京経済オンライン

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